憲政を破壊した麻生首相

 7月12日の都議選を控え、自民党内は混乱状態になっているようだが、7月5日の静岡県知事選で民主党分裂選挙だったにもかかわらず、民主党候補が当選していることから、都議選の結果及びその後の国政の政局については、政治に関心がある人ならある程度予想がつくというものである。

 今回取り上げたいのは、都議選後の政局ではなく、国政におけるこれまでの時間の浪費についてである。麻生首相は、政権を投げ出した福田首相の後を受けて発足した。実質的には自民党の選挙の顔として、形式的には選挙管理内閣として発足したはずである。それが本格政権を目指したためにおかしなことになり、時間の浪費となった。

 選挙を経ずに首相になったこと、直近の国政選挙である参院選民主党が勝利していることから、麻生政権には政治的正統性がない。戦前、政党政治の慣例になっていた憲政の常道というものに反するのである。にもかかわらず、衆院の3分の2で再議決できるという憲法の規定を乱用するというのは憲政の破壊にほかならない。

 さらに、選挙管理内閣が半年以上続いたことで、本格政権ができていれば実行できたことができず、国政が停滞した。世界同時不況が起こったこと、米国で政権交代したことを考えると、この半年の政治の停滞は致命的だったかもしれない。イタリアで行われたラクイアサミットでほかの首脳からまともに相手にされなかったというのは、政治の停滞における氷山の一角に過ぎない。

 大正デモクラシーのとき、「閥族打破、憲政擁護」というスローガンがあった。大正元年12月5日、山県有朋ら閥族とむすびついた陸軍が西園寺内閣を総辞職させたとき、政党人である尾崎行雄犬養毅がこのスローガンを叫んだ。次の国会では、数万人の国民が国会議事堂を取り囲み、発足したばかりの桂内閣は大正2年2月11日、総辞職に追い込まれた。

 もし、尾崎行雄が生きていたら、麻生首相に向かって憲政擁護を叫んでいたのではないか。自民党は過去の日本の歴史を美化するのが好きなようだが、戦前の政党政治からも学ぶべきだ。それ以前に、漢字の読めない首相では、戦前の歴史は知るよしもないということなのか。