『人道的介入』再読

 ウクライナ戦争に関連してコソボ紛争が各方面で取り上げられていたのを機に、2001年発行の最上敏樹著『人道的介入』を再読すると、コソボ紛争は止むを得ない人道的介入だったと内容を誤解して記憶していたのに気がついた。なぜそうなったのか。個別的な例としてコソボ紛争は人道的介入に当たらないと書いた後に、観念的なあるべき人道的介入をやむを得ない例などを挙げながら、最後に書いてあるためだった。アカデミックな本なので、誤解して記憶する方が悪いのだが、新書という一般人を対象にした本としてはわかりにくい。それ以上に問題だと思ったのは、アカデミックであるだけに重要なことをあえて強調していない点だ。プーチンのロシアがコソボ紛争を真似してしまった今となっては、新書である以上、以下のような点をもっと強調するべきだったのではと思えてくる。

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しかし、これまでの人道的介入の事例において、多くの場合そうであったように、この作戦もまた、純粋に人道的な動機だけでなされていたとは言いにくい。ラチャク事件の第一報がOSCEの調査団によってもたらされたとき、オルブライト米国務長官は「コソヴォに春が早く来た」と叫んだという。コソヴォアルバニア人を助けるための軍事行動を起こす口実ができたという意味であったのだろうが、「虐殺」事件を歓迎するかのような反応と「人道的な」政策執行とがどう結びつくのか、いささか違和感も禁じえない。だが、人道的目的とは別の目的があったと考えれば、話のつじつまは合う。

 興味深かったのは、1978年からのヴェトナムによるカンボジアポルポト政権)への介入では、ヴェトナムが人道的介入を正当化根拠として打ち出していないことだ。人道的介入はヒトラーのズデーテン併合など、胡散臭いものという共通認識がまだ当時はあったのだろうか。