『明治デモクラシー』−民主主義こそ日本の伝統

 GHQによる押しつけ憲法や押しつけ教育はやめて、憲法教育基本法を改正して、日本の伝統にかえれと自民党はいう。自民党がいう日本の伝統とは愛国心や家族主義のことであろうが、民主主義はその中にないらしい。(もしあれば、共謀罪法案など決して国会に提出しないはずだ。)

 民主主義(デモクラシー)とは、戦後突然GHQから押しつけられたものでは決してなく、明治時代から民衆の中にあったことを、坂野潤治著『明治デモクラシー』(岩波新書)は教えてくれる。

 坂野氏は「明治デモクラシー」の構成要素として、「主権在民論」(中江兆民等が主張したルソー主義)「議院内閣制論」(福沢諭吉等が主張したイギリス流の議院内閣制)の二つを挙げて、「主権在民論」は最初の帝国議会で敗退し、「議院内閣制論」は日露戦争を境に敗退したとしている。(p176-177)

 その後、「官民調和体制」が成立する。「官民調和体制」とは、一方で軍部や官僚や貴族院を一つの保守勢力が掌握し、他方で衆議院の恒常的多数を一つの政党が握り、両者が各々の内部の利害を調整しながら、安定的に国政を運営していく体制である。これを極限まで進めれば、自民党族議員を媒介にして官僚制と恒常的に協調する今日の日本の政治システムに行きつく。(p162)

 「議院内閣制論」は、イギリス流の政権交代可能な二大政党による政治システムのことを指しているから、現在の日本では達成できていない。日本で二大政党制が達成されたのは、戦前の1925年から32年まで、わずか7年間だけである(政友会と民政党)。

 「主権在民論」さえ、現在の日本では疑わしくなってきた。民主主義に必要不可欠である言論の自由が保障されなくなってきたからである。驚くべきことに、政府の方針に対して、反対の声を挙げただけで逮捕される例が増えてきている。

君が代不起立呼びかけ『罰金』のナゼ 妨害の印象ない(東京新聞)

サウンドデモなぜ摘発(東京新聞)

 逮捕の根拠とする法律やその運用は、民主主義国家のものではなく、開発独裁国家やファシズム国家に近いものといえよう。それらは日本国憲法に違反していると思うのだが、その憲法改憲論議の中で、時代遅れの押しつけ憲法として、粗末に扱われつつある。

 民主主義こそ、自由民権運動以来の日本の伝統である。それに対して、自民党愛国心や家族主義が日本の伝統であると主張する背景には、官民調和体制、さらには軍国主義への郷愁があるのだろう。自民党は、テロリストや犯罪国家(北朝鮮)と軍事大国(中国)の脅威を利用して、民主主義を実質的に否定しようとしている。共謀罪法案が、テロリストの脅威を利用して民主主義を否定しようとした典型的な例である。

 民主主義を守れ、表現の自由を守れと、こんな基本的なことを主張しないといけない世の中になってしまった。「板垣死すとも自由は死さず」という板垣退助の言葉は、決して古い言葉ではなく、現在でも通用するのである。

 自民党総裁選で安倍氏は、フランスのサルコジ内相のようにナショナリズムと排外主義を煽るだろうが、福田氏や民主党の小沢氏は民主主義という日本の伝統を訴えればよい。私は小沢氏を好きになれないが、小沢氏は自由主義者であるから、民主主義を否定することはないだろうと信じている。

 小泉首相は何と反動的な、ファシズム的な時代にしてしまったのだろう。

参考URL

共謀罪 民主案丸のみ、のち迷走のワケ(東京新聞)

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