今後の民主党のあり方について

 9月11日に行われた総選挙で民主党が大敗した。小選挙区制のマジックがあったとはいえ、小泉自民党に風が吹いたことは確かである。いろいろなところで民主党敗北の分析がされているが、いつものことながら山口教授の分析がとても鮮やかだったので、ここで紹介したい。

05年11月:日本における左派政治の今後と民主党の役割(yamaguchijiro.com)

 巨視的に見れば、一握りの勝ち組以外は、皆同じようなリスクにさらされている。しかし、その中に微妙な差異が存在することも否定できない。従来の自民党政治による利益配分システムの中では、農村、建設業者、過疎地の自治体などが特に優先的にリスクから守られてきた。補助金、公共事業、地方交付税などがリスクに対するシェルターとなった。そうしたシェルターを作るための費用をもっぱら負担してきた都市住民から見れば、彼らのリスクだけが不当に高い政治的関心を集めてきたという不公平、不平等が存在する。また、公務員は身分保障があり、今時例外的に雇用のリスクがゼロの人種である。これもバブル崩壊後リストラの十年をくぐってきた民間サラリーマンや非正規雇用に甘んじている人から見れば、大きな不平等に映る。住宅面での衒示的消費の象徴である六本木ヒルズを見てもうらやましいとは感じないが、近所の公務員宿舎には腹が立つというわけである。プチ不平等に対する反感が、グローバル経済にともなう大きな不平等を覆い隠しているという現状である。

 私のような左派の学者は、公共セクターが平等をつくるという議論を立ててきた。市民が税金や保険料を出し合って構築される公共セクターが、市民それぞれの収入や地域などの差に関係なく、普遍的で公平な福祉サービスを提供し、平等をつくるというのが政治学や財政学の常識であった。このモデルは公共セクターに対する市民の信頼がないと成り立たない。現在はその信頼がなく、公共セクターこそが不平等の源泉であるという感覚が蔓延しているのである。「官から民へ」のスローガンのもと、小さな政府を作り出すこと、あるいは皆が同じように大きなリスクにさらされる状態を作り出すことが、むしろ「非勝ち組」の中での平等を作り出すという期待がある。

 六本木ヒルズと公務員宿舎の例には、はっとさせられる。「プチ不平等に対する反感が、グローバル経済にともなう大きな不平等を覆い隠している」というのは政治に関する無知やマスメディアによる誘導が挙げられるだろうし、「公共セクターこそが不平等の源泉であるという感覚」は無駄な公共事業や生活保護の不正受給等が挙げられるのだろう。そんな行政なら無くしてしまえということだろうが、官に怒る人々は、本当に必要な行政サービスまでカットさせられることには思いが至っていないようだ。

 今回は、今後の民主党のあり方について考えてみたい。

 先日、自民党に後れを取りながらも、民主党もブロガーを集めて懇談会を開いた。その懇談会に参加した絵文録ことのはさんが次のような疑問を提示している。

 

民主党は、ある程度の大きさの政府を目指す−−前原誠司代表と「民主党 ブロガーと前原代表との懇談会」レポート(絵文録ことのは)

 自民党は、完全な競争原理に基づく社会を作ろうとしている(と少なくとも民主党では認識している)。それに対して、民主党は、自由競争だけではなく、ある程度の平等社会を維持する必要があると考えている。

(中略)

 これで民主党の立場がわかったような気がするが、そこで新たな問題が出てくる。それは「自己責任の原則に基づく自由で公正な社会の実現」という旧自由党の理念(小沢一郎ウェブサイトより)とは合わないのではないか、ということだ。自由党は、むしろ自由競争社会を徹底的に推進しようという立場ではないのだろうか。そして、そういう人たちが民主党内にいるということは、意見のずれを生じないのだろうか。このあたりは次回(があれば)聞いてみたいことである。

 私も以前から同じ疑問を持っていたし、旧民主党と旧自由党の合併はマイナス面が大きいと思っていた。理念が違う政党が合併すると、合併後の政党の理念が曖昧になるということは誰でもわかりそうなものだが、両方の理念が必要なので、合併は望ましいという以下のような意見もあるようだ。

佐和隆光『日本の「構造改革」』(岩波新書2003年)

 さて、自由党党首であった小沢一郎氏は、新保守主義改革、すなわち市場主義改革の熱烈な唱道者である。もともと自由党は、新保守主義を標榜する政党であった。すなわち、私のいう「構造改革」の必要条件である市場主義改革を推進する力をもつ政党が、自由党にほかならなかった。

 他方、旧民主党には、社民党出身の議員をはじめ、「第三の道」に共感を覚える政治家が少なくなかった。一見、「野合」のようにみえるかもしれないけれども、民主党自由党の合併は、新保守とリベラル左派の両極を包含する政党の誕生を意味する。両党の合併は、いまの日本にとって「必要十分な改革」である、市場主義改革と「第三の道」改革を同時並行的におしすすめる役割を担いうる政党の誕生なのである。(p187〜188)

 私は、政党とは同じ理念の者が集まるべきで、理念が違う者同士が政権を担当する場合、連立政権をつくることが望ましいと考えている。現在の小選挙区制ではそれが難しいから合併はやむを得なかったということだろうが、それならば選挙協力で選挙を乗り切る方法もあったはずで、安易な合併はするべきではなかったと思っている。佐和氏のいうように、市場主義改革と「第三の道」改革を同時並行的に進める必要があるとしても、民主党自由党が連立政権を組めばいい話である。

 民主党自由党が合併したことが今の民主党をわかりにくくさせたといえる。市場主義改革と「第三の道」改革を同時並行的に進める必要があるとしても、国民にとっては方向がわかりにくい改革である。岡田代表が愚直なまでに真面目に説明した民主党の改革は、小泉首相のワンフレーズ・ポリティクスに比べると分かりにくかったということもあるが、そもそも様々なベクトルを有する改革の寄せ集めだったために、その改革の方向が分かりにくかったこともあった。

 小泉自民党に対抗するには、わかりやすく社民主義を提示するべきだ。中身に市場主義改革と「第三の道」改革を入れる必要があるかもしれないが、選挙で国民に提示するべきものは、まずグランドデザインであり、細かいマニフェストの中身ではない。それが、先日の総選挙で大敗した民主党の教訓ではないか。

 鈴木宗男氏が北海道で結党した新党大地は、北海道の比例代表得票率で民主党自民党に次いで第3位になるなど、多くの支持を得た。鈴木氏は道外では金権政治家というイメージがあるが、はっきりと社民主義を掲げて、小泉自民党新自由主義を批判していた。社民主義とは社民党の専売特許でもなければ、教条的な憲法9条擁護主義でもないのである。

 しかし、民主党は小沢氏率いる旧自由党グループが控えているし、前原代表も本音では新自由主義だろう。旧社会党グループは横路氏が排除される形で衆院副議長に就任するなど、影響力は低下する一方なので、前原代表が党内運営を多数決で決めることを打ち出している以上、社民主義をわかりやすく打ち出すよりも、自民党よりも純化させた形で新自由主義をわかりやすく打ちだそうということになってしまいそうだ。

 最後に、新自由主義としての小泉構造改革にどう対抗すればいいのかという点で、金子勝氏が経済学者らしからぬことを次のように語っているのが興味深かったので紹介したい。

『世界』11月号 金子勝氏と杉田敦氏の対談「幻想の「改革」への対抗軸を」より

(以下引用)

杉田 

 これほど急速に新自由主義的な思考がすりこまれてしまった現在、「それでも官が担うべき領域があるのだ」ということを、私たちはどう説得的に主張していけばいいのでしょうか。

金子

 それについては、そんなに原理的に考える必要はないと思います。たとえば米国は郵貯を民営化しましたが、郵便は国営ですよ。

(中略)

 こういう「世界の常識」はほとんど報じられることもなく、ただ「民営化すればいい」といった主張だけがくり返されている。これはもはや「民営化信仰」と呼ぶ以外にありません。

杉田

 道路のときもそうでしたね。

金子

 そうそう。高速道路が有料なんて国はほとんどない。

 だから、「官でやるべき領域がある」と言うには、あたりまえのことを言えばいい。「救急車を民営化して有料に」などという議論は、普通に考えればありえませんよ。「それはおかしい」「人間的でない」と言ってやるしかないでしょう。