カルト宗教のような新自由主義

 1929年、資本主義社会を襲った世界恐慌は、それまで経済学で支配的だった新古典派経済理論の信頼性を失わせ、経済学は危機を迎えた。この経済学の危機を解決したのが、ケインズの『一般理論』だった。  しかし、戦後になってから、ケインズ以前の新古典派が見直され、その研究が進んだ。その理由として、特に、1960年代から70年代にかけて、アメリカでインフレ、失業、国際収支の不均衡が螺旋的に拡大して、ケインズ主義的な財政・金融政策がその効果を失ったことが挙げられる。  1970年代になると、アメリカで新古典派を発展させた反ケインズ経済学が席巻した。
 1970年代の経済学は、一言でいえば、反ケインズ経済学といってもよいように思われる。(中略)反ケインズ経済学は、合理主義の経済学、マネタリズム、合理的期待形成仮説、サプライサイド経済学など多様な形態をとっているが、その共通の特徴として、理論的前提条件の非現実性、政策的偏向性、結論の反社会性をもち、いずれも市場機構の果たす役割に対する宗教的帰依感をもつものである。(A-p189)
 まず、反ケインズ経済学を源流まで遡って、フォン・ミーゼスの理論からみていきたい。オーストリアのミーゼスはハイエクに影響を与え、ハイエクは反ケインズ経済学の代表者ミルトン・フリードマンに影響を与えている。
 ミーゼスはウルトラ自由市場派である。自由放任の完全競争状態では、専門家が「パレート最適」と呼ぶ状態―生産されたものはすべて需要者に売りつくされ、労働市場完全雇用にある状態―が実現される、と彼は考える。その状態では、各個人の満足が極大になるよう取引が行われており、各企業は利潤が極大となるよう生産をしている。すなわち自由放任は、すべての人、すべての企業を満足させるのであり、その社会の資源を最大限有効に使うのである。  こういう考え方は、いわゆる近代経済学者の共通見解だと見られているが、正確には、本書で既に繰り返し述べてきたように、それは非現実的な極めて特殊の場合にのみ正しいのであり、一般の場合には正しいとは言えない。特殊な場合とはセイ法則が成立する場合であり、近代的な現実の社会では、セイ法則は成り立たない。(B-p189)
 ミーゼスは1922年の『社会主義』で、アヘン戦争の原因となったイギリスによるアヘン貿易を正当化するなど、完全な自由放任を主張していて、それによって反社会的な結論になっても構わないという立場である。  1970年代の反ケインズ経済学にも似たような例があり、合理主義の経済学も反社会的な経済理論といえる。ゲーリー・ベッカーの「教育の経済学」は、高等教育を受けようとする人は、教育を受けたときにどれだけの生涯所得が増加するかということと、そのような教育を受けるためにどれだけ費用がかかるかということを比較して、高等教育を受けるかどうかを合理的に決定する。「犯罪の経済学」は、殺人を犯そうとする人が、殺人することによって得られる楽しみと、捕まって処刑される確率とその苦しみを比較して、殺人を犯すかどうかということを合理的に決めるという考え方である。  
 私は、1980年春から夏にかけて、6か月ほどアメリカのミネソタ大学に滞在した。ミネソタ大学は、規模は小さいが、魅力的な経済学部をもったところで、私は以前からよく訪れることが多かった。しかし、このときには、学生たちの雰囲気が異常であったのには、到着早々驚きの念を禁じえなかった。当時ミネソタは、合理的期待形成仮説を信奉する人々のメッカの一つになっていて、学生たちだけでなく、他の大学からも少なからぬ数の人々が集まっていた。かれらは、合理的期待形成仮説をREと呼んで、相互に、この仮説の信者であるということを確認し合っていた。ルーカスの二つの論文、「貨幣の中立性について」と「景気循環をどう理解するか」がかれらにとってもっとも大切な論文であった。いまでも記憶に鮮明に残っているのは、一人の女性の研究者が、ルーカスの後者の論文を、全部暗記していて、議論をするごとに、その論文の何ページに、こういう文章があるといって、眼をつぶって、あたかもコーランを暗唱するかのような調子で唱え出す光景は異様であった。(A-p257)
 70年代のアメリカの経済学部では反ケインズ経済学一色に染まっていたが、これは反ケインズ経済学が市場機構の果たす役割に対して、宗教的な帰依感をもっているからともいえる。まるで、市場を神様とするカルト宗教のようだ。ケインジアンの経済学者が講義すると、反ケインズ経済学信奉者の妨害にあった(A-p258参照)という。
 1970年代を通じて、とくにアメリカの諸大学で、一種の流行現象となった反ケインズ経済学の考え方は、現実の経済におけるさまざまな制度的、時間的制約条件を捨象して、新古典派経済理論の理論前提をさらに極端な形で推し進め、論理的演繹と統計的推計を通じて、ある特定の政治的イデオロギーにとって望ましい政策的命題を導き出す。そして、ケインズ経済学に代わって、新しい経済学の理論的枠組みをつくり出しているかのような印象を与えてきた。しかし、これらの考え方はいずれも、理論的整合性という点からも、また現実的妥当性という点からも、浅薄かつ皮相的であって、しかもときとして深刻な矛盾を含んでいる。いずれもケインズ経済学に代替しうるものではなく、新しい経済学のパラダイムが形成されるまでの鬼火現象にすぎない。しかし、このような考え方が、アメリカの多くの大学における経済学の研究を支配し、その教育に対しても少なからぬ影響を与えつづけてきた。さらに、政治的、社会的にも無視しえないインプリケーションをもったという現象は、ある意味でアメリカ社会の病根がいかに根強く、深刻なものであるかということを端的にあらわすとともに、経済学のこれからの進展に大きな影を投げかけるものとなっている。(A-p212-213)
 反ケインズ経済学によって、アメリカでレーガン政権の経済政策が行われた。その結果、失業率の増大、双子の赤字外国為替市場の変動の不安定化等が起こった。イギリスでもサッチャー政権の経済政策は不成功に終わった。それにより、反ケインズ経済学に対する批判と反省が起こった。  しかし、その後アメリカ主導でグローバル経済化が進んだことにより、世界中に反ケインズ経済学(新自由主義)が流布した。ケインズ政策が行き詰まったとき、ケインズ経済学を改良しなければならなかったところを、新古典派に戻ってしまったところに悲劇の原因がある。まるで、市民革命後、歴史の針を逆に戻した王政復古の反動体制のようだ。反ケインズ経済学者は巧妙な数式を使って、理論を組み立てているが、土台はあくまでケインズ以前の新古典派である。  日本ではアメリカ・イギリスから20年も遅れて、新自由主義を真似ようとしている。小泉構造改革は、20年前の新自由主義の焼き直しに過ぎない。国民はその「改革」に支持しているが、その「改革」の経済理論まで知る国民は少ない。 参考文献 (A)宇沢弘文『経済学の考え方』(岩波新書1989年) (B)森嶋道夫『思想としての近代経済学』(岩波新書1994年)