シュンペーターとサッチャリズム

 前回、「カルト宗教のような新自由主義」で反ケインズ経済学を取り上げたが、その補足として、今回、森嶋通夫著『思想としての近代経済学』(岩波新書1994年)から、シュンペーターサッチャリズムの関係について取り上げたい。

 シュンペーターオーストリアの経済学者で、1942年、『資本主義・社会主義・民主主義』を著した。その中で、資本主義の発展が引き起こした上部構造の変質(エリートの転進)が、経済を蝕むことによって、資本主義から社会主義へ体制変換すると主張した。

 森嶋氏によると、シュンペーター社会主義化による官僚機構の肥大化や、競争不足による能率低下は一切分析していない(p157)。実際、イギリスは労働党政権が社会主義的な政策を進め、福祉国家となった結果、経済的業績が悪化し、自由放任を主張する「マネタリスト」の経済学者が現れ、1980年代に新自由主義サッチャー政権が誕生した。

 それまでのイギリスは、新しい福祉国家を求めて、保守党と労働党によって、社会化政策の「やり過ぎ、やり不足」の微調整をしていた。それに対してサッチャーは、微調整が資本主義の安楽死社会主義の無痛分娩をもたらす以外の何者でもないと考え、福祉国家を拒否し、シュンペーター理論に対して反転攻勢に出たのである。

経済学には迷信の類が、幾つかある。セイ法則も迷信であれば、「見えざる手の導き」も迷信である。そして両者には関係がある。セイ法則が成立している時代には、見えざる手を信じてもよいが、反セイ法則の時代は、耐久財に関する市場のディレンマのゆえに、見えざる手は働きえなくなっている。反セイ法則の下では、完全雇用均衡は、投資不足のゆえに実現せず、莫大な失業が生じる。そしてこれが、「ヒトラー時代」を生んだり、社会主義化を引き起こしたのである。このことを忘れて、いまなお反セイ法則が支配し続けている時代に、「私有化政策」を敢行して資本主義への反転を試みても、大量失業が生じ不成功に終わるだけである。サッチャーの誤りは、新自由主義が反セイ法則の経済に不適合であることを自覚しなかったことにある。にもかかわらず彼女の反転のような試みがありうることを全く無視したのは、明らかにシュンペーターの手落ちであったといわねばならない。(p159)

 私は、保守政権と社民政権による社会化政策の補修正は必要であるし、望ましいものと思っている。しかし、レーガンサッチャーや、現在の小泉政権による新自由主義は、補修正を遙かに越えて、これまでの福祉国家を否定する政策である。それは、大量失業を生じさせ、「ヒトラー時代」を生む可能性がある。

 イギリス・ブレア政権の「第三の道」にも違和感がある。「第三の道」は、新自由主義を通過した後の新しい福祉国家の模索であるが、新しい福祉国家の模索に新自由主義を通過する必要はなく、社会化政策の補修正で対応すべきだろう。

 経済的業績のために、大量失業を伴う新自由主義のショック療法をするのは本末転倒だ。国や大企業の経済的業績よりも、国民の生活を第一に考えた経済政策をとるべきだ。