争点誘導の総選挙

(1)郵政民営化反対論について  自民党郵政民営化反対派は小泉首相から抵抗勢力守旧派と言われ、郵政法案に反対した民主党も同じ抵抗勢力だと言われている。さらに、反対派議員の選挙区に「刺客」を送り込んでいる。  マスコミも、首相のレッテル貼りを利用したイメージ報道や、有名人の「刺客」に関する報道で視聴率を稼いでいる。  そのようななかで、郵政民営化反対論の中身がなかなか報道されないが、インターネットで荒井参院議員が2時間にわたって反対論を繰り広げているので、賛成派も反対派も視聴をおすすめする。 選挙特番 私が郵政民営化に反対する本当の理由 (神保・宮台マル激トーク・オン・デマンド(VIDEONEWSCOM)) (2)郵政民営化から新自由主義に争点を広げる必要性  私は郵政民営化よりもっと大事な問題があると思っているので、小泉首相郵政民営化に争点を絞っているのは悪質な争点誘導だと思っているが、郵政民営化新自由主義(マル激流にいえばネオリベ政策)の一つであるので、郵政民営化の是非を問うことは新自由主義の是非を問うことでもある。わかりやすくいえば、日本経済のアメリカ化を進めるのか、それともブレーキをかけて他の方法をとるのかということである。郵政民営化の是非を考える際は、新自由主義の是非と捉えて考えないと、後でこんなことになるとは思わなかったと後悔することになりかねない。 A contemporary dilemma haunted by history By Ronald Dore(Financial Times  August 8 2005 20:22)
Junichiro Koizumi, Japan’s prime minister, has lost the vote on his grand scheme to privatise the country’s post office with its vast savings pool and will go to the polls. For now, the village-pump communitarian face of Japanese conservatism has won out over anti-bureaucratic, privatising radicalism. The global finance industry will have to wait a little longer to get its hands on that $3,000bn of Japanese savings.
(toxandoriaさんの日記より 意訳) 日本の小泉純一郎首相は、膨大な貯蓄額を持つ郵政事業の民営化法案という彼のグランド・スキームを国会で否決された。その結論は総選挙に委ねられることになった。とりあえずは、旧い田舎じみた印象の日本の保守主義が過激な反官僚主義と過激な民営化方針に勝利を収めた形になっている。このため、世界の金融産業は、約350兆円の日本人の貯蓄を手に入れるまで、もう少しだけ我慢しなければならない。
 上の記事はブログで話題になっているFinancial Timesの記事であるが、書いているのは有名なイギリス人日本研究者のロナルド・ドーアで、彼の『働くということ』は当ブログでこれまで2回にわたって紹介している。  今回、『働くということ』から選挙に関係がありそうな箇所を抜粋して紹介する。この本は文化的な話にまで遡って経済の話をしているので、選挙とは関係なく、ぜひ一読をおすすめしたい。 ロナルド・ドーア『働くということ-グローバル化と労働の新しい意味』(中公新書
 私は現代日本で行われている、そして小泉純一郎内閣がこれからやろうとしていることについては、「改善」を想定させる「改革」という言葉ではなく、「変化」あるいは「変革」といった中立的な言葉を使った方がいいと思いますが、決していい方向への改革とは思えません。ところが、競争や市場の信奉者たちの主義・理論でとるにたらないものは別として、彼らの前提になっている「マラソン歴史観」とでもいうべきものには、ある程度経験的に頷けるものがあります。  マラソン歴史観というのは、先頭を走る選手が必ずいるのと同様に、ある国は先進国として走り、ある国は遅れているが、すべての国は同じ歴史的コースを走っているという比喩です。アングロ・サクソン「先進」諸国の後について、新自由主義へのコースを走っていくことが望ましくもあり、必然的でもあるという信念が、過去10年間―ヨーロッパ大陸の場合まださほどはっきりしていませんが、少なくとも日本で―経済産業省財務省の経済官僚、特に若手の官僚たちの間では次第に支配的な理論になってきました。小泉氏が首相になって「抵抗勢力」を敗北に追い込んでからの政府においてもそうです。(p30-31)
 大臣になる前の竹中平蔵教授は『日本経済新聞』の広告特集記事の中で、リスクをとれば利益を手にすることができるという考え方を植え付けるために、小学校の生徒に株を教えるのは悪くないアイディアだと述べていました。私は、デフレの深刻さを認めない彼は経済財政担当大臣になるよりも文部大臣になる方が無難だと思ったこともありますが、やはりならなくてよかったようです。最近の改革派エコノミストにとって、リスクは一つで分割不可能であり、起業家のリスクと投機のリスクなどという道義的な区別(筆者注:p68で、結果が幸運だけでなく、顧客を喜ばそうとする努力で決まる場合と、結果が幸運と狡猾さだけで決まる場合との違いと説明されている。)は無意味なようです。(p69)
 おそらくそれよりも重要なのはアメリカの大学院経済学部です。フランス、イタリア、日本、中国の大学の経済学部で教えている経済学者には、博士号をシカゴ大学、MIT(マサチューセッツ工科大学)といった有名大学ばかりでなく、ワイオミングやケンタッキーの地方大学で得た男女が増えています。次の世代のビジネスマンや公務員を訓練するのはこれらの人々なのです。彼らは、アメリカの博士号が持つ威信のお陰で、メディアや政策が形成される政府委員会や審議会で不釣合いに大きな発言力を持っています。  日本でその代表的な人物が、郵政民営化を使命とする経済財政担当大臣になっています。これらの人たちはいろいろな国の制度についてさまざまなことをよく知っていますが、なんといっても彼らの共通語、共通文化はアメリカのそれで、経済制度を考えるとき、当たり前の制度と想定するのはアメリカのそれなのです。労働市場の柔軟化を目的とする労働法改正が―不当解雇に関する規制の緩和にしろ、期限付き労働契約の範囲の拡大にしろ―、国から国へ速く伝播するのは、米国学会を中心とする学術・文化・政策的認識の世界的同質性のなせるわざではないかと思います。(p177-178)
参考ブログ 世界の常識は日本の非常識?(海外から見た「日本の不思議な光景」) (toxandoriaの日記)