JR西日本の脱線事故はこのまま風化してしまうのか

 JR西日本脱線事故については、運転士の死亡等で当初原因究明が難航したため、当ブログで取り上げるのを避けてきたが、三ヶ月以上たっても刑事捜査が進展していないようなので、今回取り上げることにした。捜査当局がこのまま幕引きを狙っているとしたら、死者は浮かばれない。 脱線死者73人に カーブで時速108キロ 兵庫県警 JR西を強制捜査(西日本新聞4月25日)
 兵庫県尼崎市のJR福知山線で二十五日朝に起きた快速電車の脱線事故で、尼崎東署捜査本部は二十六日、業務上過失致死傷容疑で、JR西日本の京橋車掌区(大阪市都島区)から資料を押収した。また大阪支社(大阪市阿倍野区)など七カ所にも捜査員を派遣し、運行記録や勤務日報などの任意提出を求めた。
 事故直後、警察は業務上過失致死傷容疑で捜査を始めている。しかし、JR西日本から資料を押収したのは事故翌日で、しかも任意提出にしている。  過密ダイヤや日勤教育など、JR西日本の組織的問題があったことは周知の事実となっているところだが、JR西日本にとって不利になる資料は警察が入手していない可能性が高い。警察は本気で捜査しているのだろうか。 「ゆとり」程遠く JR宝塚線新ダイヤに運転士指摘(神戸新聞6月19日)
 新しい暫定ダイヤでは、最高時速を百二十キロから九十五キロに、現場カーブの制限時速を七十キロから六十キロに下げたが、基準運転時間は川西池田―尼崎間で三十五秒増えるにとどまった。  ベテラン運転士は「余裕のあるダイヤに見えるが、実際は制限速度いっぱいで走らなければ遅れてしまう」。別の運転士も「駅の停車時間も延びたが、以前から遅れがちだった実態に合わせただけ。ゆとりができたわけではない」と話す。
責任追及から分析型へ JR西日勤教育(神戸新聞7月7日)
 尼崎JR脱線事故を受けて、JR西日本が進めていた運転士らに対する「日勤教育」の見直し案の具体的な内容が六日、明らかになった。教育期間の基準を初めて定め、ミスの重大性により一週間から一日まで幅を持たせる。教育の重点を、ミスの責任追及から原因分析に変更し、再発防止に役立てる。重大な事故につながりかねない赤信号の見落としが一週間と最も長く、脱線事故の主因とされる速度超過を含む禁止事項の違反は三―五日としている。
 ゆとりを持たせたダイヤに改正したり、日勤教育の見直しをするなど、JR西日本の事故後の対応が続いているが、どこまで実効性のあるものなのか。第三者機関の厳しいチェックでも受けない限り、とても実効性が担保できないのではないか。  新ダイヤについては、来春にも元のダイヤに戻したいと鉄道本部長が発言し、批判を受けて撤回した経緯がある。本当に安全だったら、事故は起きなかったわけだが、JR西日本の上層部は今でも安全なダイヤだったと思っているようで、事故の原因は運転士のミスと言わんばかりの対応だ。このような会社に自浄機能があるとはとても思えない。 管理部門の「過失」焦点 捜査長期化は必至(神戸新聞6月25日)
 尼崎JR脱線事故で、兵庫県警尼崎東署捜査本部は二十四日までに、遺族や乗客、JR西日本関係者ら約五百五十人の事情聴取を終えた。現場カーブでの速度超過が主因とされる事故の捜査は今後、JR西の管理部門にこうした事態を予測しながら回避措置を怠るなどの「過失」がなかったかどうかが焦点となる。ただ、背景として指摘される余裕のないダイヤ設定や新型列車自動停止装置(ATS―P)の整備遅れ、ミスに課せられ懲罰的な「日勤教育」などから、「過失」の立証に結び付けるのは難しく、過去の鉄道事故同様、捜査の長期化は避けられないようだ。
 業務上過失致死傷容疑での捜査は難しいといわれている。私は今回の事件で、JR西日本の上層部に刑事責任があるのではないかと思っているが、法的に立件できなければそれはそれで仕方ない。しかし、不起訴になってしまった場合でもしっかりと再発防止策がとられなければならない。国土交通省の出番である。 2005年4月25日に起こった福知山線脱線事故について(富久信介・17才の生涯)
今回の事故は、ひと言でいえば、ずさんな鉄道行政が招いたことで、107人の亡くなられた乗客と負傷された大勢の乗客は国交省鉄道局の怠慢の犠牲者だと思います。無論、JR西日本が安全を軽視しずさんな運行をして事故を招いたことは論を待たないが、それを許してきたのは、鉄道に関する殆ど全ての権限を持っている国交省鉄道局です。 本来統一すべき安全基準を鉄道事業者任せで各社バラバラの状態を放置してきた国交省鉄道局の怠慢と不作為がまた大惨事を招いたことは明白です。日本には数社しか鉄道車両メーカーはありません。レールも全て形状は同じで、これも数社しかない鉄鋼メーカー製でしょう。つまり、鉄道事業者は異なっても、同じ車両が同じ設計のレールの上を走っている訳です。安全基準が鉄道事業者任せでバラバラでいい筈がない。誰が考えたって、おかしいと思います。鉄道局の職員にとっては鉄道事業者鉄道車両やレールのメーカーは重要な天下り先です。役人は自身の天下り先を大事にするから、厳しい安全基準を設けて、鉄道事業者の経営を危うくすることは彼らの利益に反することだから、極めて緩い基準しか決めてないのだと考えるのは穿ち過ぎでしょうか。
 日比谷線脱線衝突事故の遺族の方が、JR西日本だけでなく国土交通省の責任を問う必要を訴えている。確かに今回、国土交通省の責任を追及したマスコミを見ていない気がする。遺族の悲しみを強調したり、マンションの建て替え問題など、情に訴えかける報道ばかりで、マスコミに原因究明・再発防止という観点があまり見られなかった。  国土交通省の責任については、安全第一の鉄道行政に政治主導で変えていくしかない。ゆえに、鉄道事故を考える場合にも、政治という観点が欠かせない。政治をおろそかにしていると、思わぬ所でそのツケが出てくる。  何でも民営化すればバラ色になると思っている首相のもとでは、安全第一の鉄道行政などできるわけがない。 懲りぬJR西の体質とは ミスした運転士追い込む?再教育(東京新聞4月27日)
 さらに労務管理の強化も運転士にのしかかる。「JR東日本では一分間の遅れは、訓告にボーナスは5%カット。昇給ランクも下がる」(田中氏)。JR西日本の現場社員も「会社は来年度から、定期昇給抜きの完全な評価主義賃金体系を導入しようとしている。いまでも訓告が二回続くと給与の等級が一号下がり、二分遅れれば内部規範で乗務を降ろされる」と話す。  「旧国鉄時代は『安全は輸送業務の最大の使命である』で始まる安全綱領を毎日、唱えさせられた。現在のJR綱領は『われわれはリーダーカンパニーを目指します』だ」とJR東日本関係者はため息をつく。  「昔は見習い中『全責任は運転席にあり、総裁が乗ってきても運転士の判断が勝る』と同乗する先輩運転士に誇りをたたき込まれた。いまはマニュアル漬け。かつては想定外の事態にも冷静に対応できるよう先輩がわざとオーバーランをして、パニックからの回復を練習させた。いまではあり得ないことだ」  今回の事故について、自殺した運転士の父親は訴える。「背景には職場の余裕のなさがあるのではないか。これを運転士個人の責任に帰したり、『再発させません』という精神論だけで終わらせてはいけない」