『働くということ』(2)

 最終章でロナルド・ドーアは、ILOの用語でいう「中核的労働基準」の問題と、グローバル経済化の中でさまざまな社会は異なった価値体系を維持できるかについて取り上げている。ここでは、後者について、4つに分類して紹介する。

1 同質的な市場個人主義的な世界を約束するようにみえる二つのメカニズム

(1) アメリカの文化的覇権

 グローバル化した世界の支配階級「コスモクラット」を、あるジャーナリストは次のように表現する。

趣味においてはコスモポリタンで、意見においてはアングロ・アメリカン。この人たちはビジネス・スクールの卒業生同士の結婚式に世界中から集まる客、飛行機のビジネスクラスやファーストクラス席を満載にする連中だ。世界的大企業の幹部の大半をなしている。支配階級としては、歴史が始まって以来もっともメリトクラティックな(能力で選別された)支配階級。幅広い社会層の出身であり、不安な案件を多く抱えているにしろ、支配階級であるのは間違いない。(p172)

 このことは二つの点で、一国内の不平等の容認の問題に影響を与える。

一 国への帰属感の一般的な弱まり

二 自分の母国語が何であれ、英語を話して過ごすことが多いこと

 アメリカの文化的覇権はグローバル・エリートの増加という点で深刻な意味合いを持つ。

 日本企業の経営者たちの経営理念が、株主価値やネオリベラルな思想に共鳴する形で動いていることの一つの重要な要因が、ビジネス・スクールにある。

 フランス・イタリア・日本・中国の大学の経済学部で教えている経済学者には、博士号をアメリカの大学院経済学部で得た者が増えている。日本の竹中経済財政担当大臣に代表される。

(2) 市場主義に従わない者に資本の枯渇を約束する金融市場の力

 IMF世界銀行が融資に付ける条件(コンディショナリティ)はアメリ財務省の見解(ワシントン・コンセンサス)に従って草案され押しつけられる。

 

2 二つのメカニズムに対する反論

(1)ホーム・バイアス・パラドックス(資本が生まれ故郷にとどまる傾向)

(2)金融市場のグローバリゼーションは逆戻り不可能ではないこと(例えば、中国やマレーシアの金融保護主義で世界貿易システムが必ずしも損なわれることはないこと)

(3)それぞれの国はどのような経済制度を目指すか、まだ広い範囲で独立した選択をすることができるということ

(4)異なるタイプの資本主義の制度間に存在する差異はまだかなり大きく、どのタイプの資本主義が優れているかについては、いろいろな価値判断が可能だということ

3 労使関係の3つの対照的なシステム

(1)アングロ・サクソン

本物の敵対関係。ストックオプションや利益シェアリング制度を通じて、従業員を小株主にさせる。

(2)大陸ヨーロッパ型

ナイフは鞘に収まっている。制度的ルールの制定が労使という「社会的パートナー」間の交渉・妥協によって行われる。

(3)日本型

ナイフは家の中の鍵をかけた戸棚にしまわれている。労使の分配のバランスは、経営者階級の価値観と責任意識の継続に依存している。

4 ロナルド・ドーアの結論

(1)資本主義形態の多様性に対して「差異万歳」。

(2)アメリカの文化的覇権の影響力は、イラク戦争によって、かなり低下している。

(3)アメリカの世界経済支配は、いずれ中国にその座を譲らざるを得なくなるかもしれない。そのとき、中国は何型資本主義になるのか、どのような文化的覇権をふるうのか。奇妙で折衷的なシノ・アングロ文化か?

 現在、資本主義形態の多様性に対して影響力を持っているのはドイツとフランスだろう。ドイツのシュレーダー社民党政権はイギリスのブレア労働党第三の道を模倣し、フランスのシラク保守政権はアングロ・サクソン型に接近して、どちらもうまくいかず、失脚も近いようだ。

 EUとしては、EU憲法がフランスとオランダの国民投票で否決され、グローバル経済化に対するノンともいわれているが、問題はアングロ・サクソン型に対する代替案が出ていないことだ。EU憲法については次回、別の記事として取り上げたい。

 中国は、政府の研究機関が社民主義を研究しているという話もあり、将来福祉重視の資本主義モデルをつくる可能性もあるが、中国の時間感覚からして遠い将来になりそうだし、それまでに現在の政治経済制度が行き詰まる可能性もあり、将来を予測するのは難しいと思われる。

 それよりも、私の関心は中国の環境問題で、このまま中国の経済成長が続くと、地球環境に致命的な悪影響を及ぼすのではないか。まさに、持続可能な経済成長は果たして可能なのかのモデルケースといえるのだが、何か危険な実験のように思えなくもない。